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新潟地方裁判所 昭和47年(ワ)358号 判決

亡田相泳訴訟承継人

原告

金元燮

外五名

右六名訴訟代理人

片桐敬弌

外二名

被告

新潟県厚生農業協同組合連合会

右代表者会長理事

戸田文司

被告

坂井信介

右二名訴訟代理人

伴昭彦

外一名

主文

被告らは各自原告金元燮、同田盛載に対し各金一七四万七二一一円、原告田盛楽、同田盛春、同田盛恒に対し各金一一六万四八〇八円、原告李盛華に対し金二九万一二〇二円および右各金員に対する昭和四七年九月一六日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告金元燮は亡相泳(本訴の係属中である昭和五五年一月一五日大韓民国国内において交通事故のため死亡した。)の妻であり、亡相泳と原告金元燮夫婦の、原告田盛載は長男、原告田盛楽は次男、原告田盛恒は三男、原告田盛春は四男、原告李盛華は長女であつて、いずれも大韓民国の国籍を有するものであることは〈証拠〉によつて明らかであり、被告新潟県厚生農業協同組合連合会は新潟県長岡市福住二丁目一番五号において「中央綜合病院」を経営しており、被告坂井は右被告連合会に雇用され、同病院で耳鼻咽喉科の医師として診療業務に従事している者であることはいずれも当事者間に争いがない。

二亡相泳が本件手術を受けるに至るまでの経緯

〈証拠〉によれば、亡相泳は大韓民国の国籍を有する者であつて、同国慶尚北道金泉南山洞三四の一に居住し、金泉国民学校(日本国の小学校に相当)に教師として勤務していたのであるが、新潟県北魚沼郡小出町に住んでいる実兄の田佑泳に招かれ、昭和四五年に大阪市で聞催された万国博覧会を観覧するため同年八月三一日から九月三〇日まで一か月間の在留許可を得て来日したこと、ところで、亡相泳にはかねてから慢性中耳炎の持病があるほか、気管肢にも支障があり、その健康状態は必ずしも良好ではなかつたところ、亡相泳は、これを知つた佑泳から、日本の医師は韓国の医師よりも優秀な技術を持つているから来日した機会に一度その健康状態について全身的な検査をしてもらつてはどうかと勧められ、そのつもりになつたことが認められる。こうして、亡相泳は、同年九月一一日から一四日までの間、前記「中央綜合病院」に検査入院(いわゆる人間ドック入り)して全身的な健康診断を受けるとともに、かねて患つていた中耳炎疾患についても診察をしてもらつたところ、右耳三五デシベル、左耳四五デシベルの聴力低下があると診断され、同病院耳鼻咽喉科に紹介されたこと、そこで、亡相泳は同月二一日、同病院耳鼻咽喉科に入院し、翌二二日、被告坂井の執刀により左耳中耳炎の手術を受けることになつたことは当事者間に争いがない。

三手術の経過と術後措置

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(1)  手術の実施に先立ち、被告坂井は亡相泳の左耳について耳鏡による検査および耳漏の検査を行なつた。その所見によると、耳鏡による検査では鼓膜の中心部にその約三分の一の穿孔があり、これを通して中耳内に赤い炎症性の肉芽が見られたのみで、ほかに異常はみられず、X線写真撮影による検査では硬化像は見られたが陰影欠損はなかつた。また、耳漏の検査ではその量は少なく、それ自体悪臭を発してはいなかつた。

ところで、慢性中耳炎については、一般にそのうちの二五ないし三〇パーセントは単なる中耳炎ではなく、後記の真珠腫症を伴う悪性のものとされているが、亡相泳の場合、以上の検査所見中に真珠腫症に特有の現象が見られなかつたので、被告坂井は、亡相泳の中耳炎は通常のものであつて真珠腫症を伴うものではないと診断した。

(2)  そして、手術は亡相泳の左耳後部にメスを入れ、側頭骨に沿つて親指の頭部ほどの切開を加え、中耳内部を露呈することから始められたのであるが、このときに至つてはじめて被告坂井は亡相泳の鼓室内に真珠腫(塊)が存在していることを発見した。すなわち、亡相泳の中耳炎は通常のそれではなく真珠腫症を伴う悪性のものであつたわけであるが、ここに真珠腫症というのは、鼓膜に大きな穿孔がある場合、ここから外耳道の扁平上皮が中耳内部に侵入して鼓室上窩や乳突道を覆い、しかも、その細胞はそこにある慢性炎症に刺激されて増殖、角化、剥離を起こし、それが集積して、遂には真珠腫様の腫瘍を形成するものである。その発生機序は今日の医学においても未だ解明されるに至つていないが、右のようにして形成された腫瘍は、その容積が増大するにつれて、周囲の骨質を圧迫、融解あるいは破壊し、内耳炎や脳内合併症を起こして人を死に至らせる。そのため真珠腫塊が存在するときは、手術的療法によつてこれを除去することが不可欠とされているが、この炎症は急速には進展せず、緩慢な経過をたどりながら長年月にわたり維持発展していく。

亡相泳の場合、真珠腫塊は耳小骨の全体を覆い、側頭骨の一部にも達していた。そのため耳小骨の関節関連部は真珠腫塊によつて固められて全く可動性を失い、耳小骨は全体的に白味を帯び、原形は止めているものの、カリエス状になつていて、耳小骨としての機能は失われていた。また、側頭骨の一部と側頭骨内を通つている顔面神経管の一部が真珠腫塊によつて破壊され、顔面神経はその水平部(約1.5ないし1.6センチメートル)において約一センチメートルほどが露出していた。そこで、被告坂井は、耳小骨を覆つている真珠腫塊とともに、すでに腐骨化している耳小骨のうち槌骨、砧骨の全部と鐙骨の脚部の大部分を除去し、未だ腐骨化にまでは至つていないその骨底部のみを残す措置をとつた。次いで、被告坂井は拡大鏡によつて一〇ないし二〇倍に拡げられた視野のもとで幅一ミリメートルほどの鋭匙(スプーンの形をしたメスの一種)を用いて側頭骨や顔面神経に付着している真珠腫塊を丹念に取り除いていつたわけであるが、露出した顔面神経に付着している真珠腫塊のなかには剥離しにくいものもあり、これを除去しようとした際、鋭匙が顔面神経に触れ、これを損傷した。そこで、被告坂井は後に起こり得るであろう顔面神経麻痺を予測し、その予防のため周囲の骨を削り取つて神経繊維を露出し、これに圧力が加わることを防止する措置を講じた。

そのあと、被告坂井は、耳小骨とともに穿孔のある鼓膜も取り除いたので、これに代えて亡相泳の耳後部の皮膚の一部をはぎ取つて、人工鼓膜としてこれを耳小骨があつた付近に当てがつて張り、外耳道から鼓室内に抗生物質を染み込ませたタンポンを軽く詰め、このようにして一連の作業を終えたのである。

(3)  亡相泳について顔面神経麻痺の症状が現われたのは手術の翌日である昭和四五年九月二三日のことである。その症状はおおむね左目が完全には閉じられず(左眼瞼の閉鎖不全)、左口角が垂れ下がり(左口角下垂)、顔面左側のしわが消え、つるりとした状態を呈するというようなものであつた。これに対して、被告坂井は、いわゆる点滴(注射)によつて血管拡張剤やビタミン剤を、内服には副腎皮質ホルモンをそれぞれ継続的に投与して保存療法を施したが、容易に改善のきざしが見られなかつた。そこで、被告坂井はかつて在籍したことのある新潟大学医学部附属病院の小池吉郎医師に依頼して、手術後一か月余を経過した同年一〇月二六日、同医師の執刀により減荷手術(神経繊維を露出させ、神経鞘に縦の切開を加えて損傷部位に圧力が加わることを防止し、損傷した神経の再生を助けるための手術)を施したが、奏効しなかつた。その後、亡相泳は同年一一月二〇日、顔面神経麻痺の原因を究明し、その改善の可能性をさぐるため、新潟大学医学部附属病院に転院し、三度目の手術を受けたのをはじめ可能な限りの検査や手当を実施してもらつたが、その顔面神経麻痺は遂に回復を見るには至らなかつた。

四被告らの責任

前認定のような手術の経過に鑑みると、本件手術においては、まず、手術中被告坂井が亡相泳の顔面神経に損傷を与えたことについて被告坂井に過失責任が認められるかどうかが問題である。そこで、この点について検討するに、本件手術は、肉眼では確認できないほどの微細な顔面神経に付着している真珠腫塊を、拡大鏡で拡大された視野のもとにおいて、これまた針のように小さく細い器具を用いて除去しようというものであり、しかも真珠腫塊のなかには顔面神経に強く密着していて、容易に剥離しがたいものがあることは前認定のとおりであり、これによれば、医師が手術中細心の注意を払つても、顔面神経に何の損傷も与えないで、これに付着している真珠腫塊の全部を除去することは極めて困難であることは容易に推認することができる。この点について、証人山本馨の証言および鑑定人山本馨の鑑定の結果中には、右のような場合でも、技両の優れた医師であれば、顔面神経に損傷を与えないで真珠腫塊の全部を除去することができるし、また、右のような場合、顔面神経に付着している真珠腫塊の全部を除去しなくとも、真珠腫の核さえ除去すれば、真珠腫症は完治するのであるから、顔面神経に損傷を与えないで手術の目的を達することは可能であるとの部分があるが、しかし、このうち右前者の点は、耳鼻咽喉科の専門医でもとくに技両の優れている者を前提としたものであつて、その専門医なら誰でも右のようなことが可能であるとしているわけではないし、右後者の点については、本件において、亡相泳の顔面神経に付着していた真珠腫塊が真珠腫の核なのか、そうでないものなのか証拠上明らかではなく、したがつて、被告坂井が亡相泳の顔面神経に損傷を与えてまでこれに付着している真珠腫塊を除去したことが右後者の点との関係で止むを得ないことだつたのか、それともその必要まではなかつたことなのか、いずれとも断定できず、右後者の点によつて直ちに手術中被告坂井が亡相泳の顔面神経に損傷を与えたことにつきその過失責任を認めることは困難である。そうすると、本件手術において、手術中被告坂井が亡相泳の顔面神経に損傷を与えたことは、とくに技両の優れた専門医ならともかく、一般の耳鼻咽喉科の医師にはこれを避けて手術を行なうことは不可能であつたといえるから、この点につき被告坂井に過失があつたとは断定できない。

ところで、証人山本馨の証言および鑑定人山本馨、同本庶正一の各鑑定の結果を総合すると、今日の医学においては、手術中顔面神経に損傷を与えた場合には、一般にその程度が軽微であるときは、一時的に顔面神経麻痺が現われても自然に回復することがあり、自然回復は困難でも手術後の投薬による保存療法により完全な回復を図ることができるとされていること、しかし、損傷の程度が必ずしも軽微とはいえないときは、その程度に応じて、(1)損傷個所周辺の骨や肉芽を取り除いて神経繊維を露出し、神経鞘(管)に縦の切開を加えて損傷個所に圧力がかかることを防止すること(減荷手術)、(2)神経が切断してしまつたものについては断端を縫合すること(断端縫合)、(3)また、神経の一部が欠損したものについては大腿部の前大腿皮神経を切り取つて欠損部へ挿入すること(神経移植)、右(1)ないし(3)のいずれかの措置をとるべきものとされ、これらの措置はその時期を失せず、即時に実施されれば一〇〇パーセントの機能回復が望めるとされていること、もつとも、以上の措置は損傷の程度に応ずるわけであるから、その程度によつては、しばらく投薬等による保存療法を実施して経過を観察し、その効果が思わしくない場合、適当な時を選んで減荷手術を実施するというような方法も必ずしも否定されてはいないこと、が認められる。これによれば、手術中顔面神経に損傷を与えたときは、その執刀に当つている医師としては、直ちに顔面神経管を精査して損傷の部位、程度を確認し、時期を失せず、損傷の程度に応じて右認定のいずれかの措置を講ずべきことは多言を要しないところ、本件においては、被告坂井は手術中亡相泳の顔面神経に損傷を与えたことを知りながら手術中に減荷手術は行なわず(もつとも、手術中に損傷個所周辺の骨を削つて神経繊維を露出したことは前認定のとおりである。)、手術後、投薬等による保存療法を試みたが、その効果が思わしくなかつたので、一か月余を経過した後に小池吉郎医師に依頼してその執刀により、減荷手術を行なつたことは前認定のとおりである。そして、〈証拠〉によれば、手術直後、被告坂井は手術室から出て来て、室外で待期していた同証人に対し、「手術中に顔面神経に触れたので、顔がちよつと曲がるかもしれないが、すぐに治る。」と述べたことが認められるのであつて、これに被告坂井が手術後にとつた前述のような措置を合わせて考えると、被告坂井は手術中に亡相泳の顔面神経に損傷を与えたことに気付いたものの、それはメスが顔面神経に触れた程度のものであつて、重大なものではなく、顔面神経麻痺が生じても保存療法により十分回復を図ることができるとの判断から直ちに減荷手術を行なうおうとはしなかつたものと推認することができる。しかしながら、〈証拠〉によれば、亡相泳の顔面神経について生じた損傷はその約三分の一を切断するというものであることが認められるのであつて、その程度は必ずしも軽微とはいえないものである。判旨そうすると、被告坂井が亡相泳の顔面神経に生じた損傷を重大なものと見なかつたのは誤りであり、この誤りは、手術中、被告坂井が、亡相泳の顔面神経にメスが触れたのに気付いた際、神経管を精査し、損傷の部位、程度を確認すべきであるのに、これを怠つたことに起因していることは明らかである。換言すれば、右のような注意義務を怠つていなければ、被告坂井は、手術中に亡相泳の顔面神経について生じた損傷が必ずしも軽微なものではないことを確認し、直ちに減荷手術を施すなどその損傷の程度に応じた措置をとることができた筈であり、そうしていれば、亡相泳について生じた顔面神経麻痺は回復の可能性があつたということができ、したがつて、本件手術については、被告坂井には右のような注意義務を怠つた点に過失があつたと認められる。もつとも、この点について、鑑定人本庶正一の鑑定の結果中には、被告坂井が亡相泳の顔面神経に損傷を与えた後とつた措置には誤りはなかつたとの部分があるが、これは、減荷手術は直ちに実施しなくとも損傷神経が完全変性に陥るまでに行なえばその効果が期待できるとする医学上の一般論をもとにした形式的な見解であつて、本件の具体的な事実関係に立ち入つてのものではないから、即座に採用することはできない。

そのほか、原告らは、本件手術については、亡相泳の耳小骨のうち槌骨、砧骨ばかりでなく残しておくべき鐙骨まで除去してしまつた点にも被告坂井の過失があると主張するが、被告坂井が手術によつて除去したのは亡相泳の耳小骨のうち槌骨、砧骨と鐙骨の脚部の大部分であつて、その骨底部は残したことは前認定のとおりであり、前認定の事実によれば、右除去部分はいずれも真珠腫塊に侵かされてすでに腐骨化していたというのであるから、これを除去したことについて被告坂井に過失があるとはいえない。なお、この点について、鑑定人本庶正一の鑑定の結果中には、手術によつて亡相泳の耳小骨は鐙骨の骨底部まで除去されたものと推定されるとの部分があるが、これは、手術後、亡相泳について著しい平衡機能障害が生じたことから推定したものであつて、あくまで推定の域を出ないものであるから直ちに採用することはできない。

次に被告坂井は被告新潟県厚生農業協同組合連合会に医師として雇用され、その経営にかかる前記「中央綜合病院」に勤務していたことは当事者間に争いがないところ、本件診療事故は、被告坂井が右病院の業務の一環として本件手術の執刀をしたことから生じたことは既述のとおりであるから、被告坂井は不法行為を行なつた者として、また被告新潟県厚生農業協同組合連合会は被告坂井の使用者として、それぞれ本件診療事故のために亡相泳が蒙つた損害を賠償する義務がある。〈以下、省略〉

(柿沼久 大塚一郎 鈴木ルミ子)

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